高校1年から12年一緒にいた人と別れた話

タイトルの通り、私にはそういう関係だった人がいる。

日本語で言えば「元夫」、英語で言えば”ex-husband”だ。

 

彼とは高校1年の夏から付き合い始めて、途中、何ヶ月か別れていた期間もあったけど、なんだかんだで12年くらい一緒にいた。

 

高校生のとき、家庭科の授業で、「これからの人生をデザインしてみよう」みたいなことをやったような気がするのだけど、

そのときの私は、「25歳くらいで結婚できたらいいな」とか「30歳までには子ども産みたいな」とか考えていて、実現するかはわからないけど、相手は当時つきあったいたその人を想像していた。

 

大学生の時も、カナダにワーホリに行っていた時も、毎日「おはよう♡」「おやすみ♡」とか言うようなイマドキの若いカップル(若干の偏見。笑)ではなかったけど、続いていて、お互いに社会人になるタイミングで、「結婚しますか」ということになり、した。

 

その時点でもう8年くらいつきあっていたし、カナダと日本の遠距離でも続いていたし、なにより私は一緒にいるのが「ラク」と思っていた。

そこから別れて新しい人を探すのも、「めんどう」と思っていた部分もある。(人生設計的に)

 

結婚生活は4年くらい。

その間、働く場所が離れていたので、2年くらいは「週末婚」だったり、私が働きすぎてうつになったり、いろいろあった。

でもかなり支えてくれたし、そのことについてはすごく感謝してる。

 

共通の趣味の山登りも楽しかった。

 

苦しくなっていったのは、私が2回目にうつになって、仕事を休んでからだと思う。

 

当時、私は、「子どもがほしい」とすごく思っていた。(これもやっぱり人生設計的に)

 

それもあって、飲んでいた抗うつ薬を勝手にやめてしまっていた。

(仕事が忙しくて、病院に行くのをやめてしまっていた、というのもある。あと、仕事に対する違和感や、いとこの死も重なって、再発したと自己分析している。)

 

また学校に行けなくなって、何もやる気がしなくて、そんな自分を責めて、ひたすら「自分なんて死んだ方がマシだ」と思っていた。

ひどい時は夜の8時に彼が帰ってくるまで、1回もふとんから出なかったこともあった。

 

そんな私と過ごしているうちに、彼の精神状態も、だんだん追いつめられていった。

 

それまで、「子どもは5人ほしい、サッカーチーム作る!」みたいなこと言ってたけど笑、

 

「(私が)また、うつになるの防げなかった。もし子どもがいてまたこうなったら、一人で面倒見てく自信ない…。ていうか子ども、ほしくないのかも…」ってなっちゃった。

 

学校の先生やめれば大丈夫だと思うんだけどなあ。

子どもいたらちゃんと生活すると思うんだけどなあ。

 

私はそう思っていたけど、家にいてもゴロゴロしてばっかりだったので、全然説得力がなかった。

 

いろんな面で、「私いま大変だからいいでしょ」みたいな感じで、彼に寄りかかって、潰れる寸前まで疲弊させてしまったのだと、今なら思う。ごめんね。

 

でもその時はそうするのが精一杯だったなあ。うつおそるべし。

 

私のうつはだんだんよくなっていったけど、

そんなこんなで、私たちふたりの歯車はだいぶずれてしまっていた。

一緒にいることがふたりにとって苦しいことなら、別れた方がいいね、という結論に至った。

 

別れる決断をして、実家に引っ越して、離婚届を出して、離れて暮らして、日々が過ぎていって、、

ひとりになったら自分が壊れるような気がして、けっこうガンガン働いていた。

もちろん、生活していくためのお金を稼がなきゃ、とも思っていたけど、気を紛らわせるためでもあったなあ。よくがんばりました、自分。

 

しばらくの間、けっこう辛かった。

 

ずいぶん長く一緒にいたもんなあ。

人生の半分近くである。その当時。

 

家族というか、自分の一部というか、そういうものを失った気分だった。

 

でも、「めっちゃ好きな人にフラれたから悲しい」という感覚はなかった。

「うつになってごめんなさい」とは思っていた。(これは今も思ってる。しょうがなかったとも思うけど)

 

なんだろう、この苦しみは。

心臓のあたりがギュウっとなりながら、しぼりだした。

 

ああ、そうか。

 

私は、自分が思い描いていた人生のレールから脱線したんだ。

 

それが悔しいし、苦しいんだ。

 

祖父母に申し訳なく感じていて、離婚したことを言うのが怖かったのだけど、それも「期待にそえず、すみません」という気持ちからだった。

 

なぜなら彼らは、私が結婚して子どもを産んで、育てて、家庭を築いていって、という姿をすごく楽しみにしていたと思うから。

 

それが一般的な幸せだと、なんだか私たちは刷り込まれている感じがする。

私たち、と書いたのは、少なくともそのときの私と、日本で出会う多くの人たちがそういう感覚を持っているような気がするから。気がする、でほんとはどうかわからないけど。

 

それに気づいた時、「そういう形が当たり前」と思っている感覚が、すごく気持ち悪く感じた。

 

別に、みんながみんなその形にはまらなくても、

 

生きてればいいじゃん。

 

自分で自分のこと好きでいて、

 

楽しませてあげられることが、幸せなんじゃないか。

 

他人に幸せにしてもらおうとするから、寄りかかって倒してしまう。

 

というようなことを、私は新しい価値観として手に入れた。

 

同世代の友達と、よく「私たちって、人生ゲームみたいなすごろくの上を進んでいて、追い抜かれたり、追い越したりしてる感じがするよね。」というような話をする。

 

私は「ふりだしに戻る」のマスに止まってしまって、ブラックホールに落ちたような気分でいたけど、

 

どうやら今度は別バージョンのすごろくらしいぞ。

 

ニュージーランド版?笑

 

うつになって、安定したお給料をもらえる仕事を辞めて、離婚もして、「つらい」と思っていたけど、

 

それを抜けたら、なんか人生楽しくなってきた。

今の自分、けっこう好きだな。

 

もちろんたまには、ずーーーーーーん。。。ってなる日もあるけど、

 

まだまだ、これからなんでもできるような気がする。

 

どうなっていくのかな、私の人生。

楽しみだね。

 

 

P.S. My best friend is my ex-husband, だなあ。